佐久間朱莉の父親・母親はどんな人?兄もゴルファー!家族構成や両親の支えを調査
2025年に年間女王となり、2026年9月20日の「住友生命Vitalityレディス 東海クラシック」でも優勝した佐久間朱莉(さくま・しゅり)選手。
今ではJLPGAを代表する選手の一人ですが、その活躍を見ていると気になるのが、
「佐久間朱莉の父親はどんな人?」
「母親もゴルフをするの?」
「兄弟や姉妹はいる?」
「家族もゴルフ一家なの?」
という家族についてではないでしょうか。
調べてみると、佐久間朱莉選手の活躍の裏には、長年にわたる家族の支えがありました。
特に父親は、佐久間選手がゴルフを始めるきっかけとなった人物。
母親も食事面などで娘を支え続けています。
そして2025年。
プロテストをトップで合格しながら、なかなかレギュラーツアーで勝てなかった娘が初優勝をつかんだ瞬間、佐久間選手は18番グリーンで両親と抱き合いました。
ファンとしてこの背景を知ってから佐久間選手の試合を見ると、少し違って見えるかもしれません。
今回は、佐久間朱莉選手の父親・母親・兄について、家族構成やこれまでのエピソードを詳しく紹介します。

佐久間朱莉の家族構成は4人家族
佐久間朱莉選手の家族構成は、父・母・兄・朱莉さんの4人家族です。
スポニチが2025年の初優勝時に報じた家族構成は次の通りです。
| 続柄 | 名前 |
|---|---|
| 父親 | 佐久間浩太郎さん |
| 母親 | 佐久間美樹子さん |
| 兄 | 佐久間怜央さん |
| 本人 | 佐久間朱莉さん |
佐久間選手は兄がいる2人兄妹の妹ということになります。
佐久間朱莉選手というと、ジャンボ尾崎さんに師事したことやプロテストトップ合格など、ゴルフエリートという印象があります。
しかし、そのスタート地点にいたのは父親でした。
佐久間朱莉の父親は浩太郎さん
佐久間朱莉選手の父親は、佐久間浩太郎(こうたろう)さんです。
2025年4月の初優勝時には53歳と報じられています。
父・浩太郎さんは、佐久間選手のゴルフ人生を語るうえで非常に重要な存在です。
JGA(日本ゴルフ協会)の公式プロフィールには、佐久間選手がゴルフを始めた動機について、
「父の影響」
と記載されています。
つまり現在の年間女王・佐久間朱莉の原点をたどると、父親に行き着くわけです。
佐久間朱莉がゴルフを始めたきっかけも父親
JGAのプロフィールでは、佐久間朱莉選手がゴルフを始めたのは3歳とされています。
父親の影響でゴルフを始め、その後競技の世界へ。
ただし、興味深いことがあります。
JLPGAのプロテスト時プロフィールでは「ゴルフ歴8歳~」となっています。
このため、
3歳ごろに父親の影響でゴルフに触れ、本格的に取り組むようになったのが8歳前後
と考えると分かりやすいかもしれません。
いずれにしても、幼いころから父親とゴルフが身近にある環境で育ったことは確かでしょう。
父・浩太郎さんは毎試合に同行してサポート
父・浩太郎さんは、娘にゴルフを始めさせただけではありません。
プロになってからも、長く佐久間選手を支えてきました。
2025年のスポーツ報知の記事では、浩太郎さんが毎試合に同行していることが紹介されています。
試合会場への送り迎え。
遠征。
そして試合を見守る。
ゴルフのツアーは全国各地を転戦します。
それを毎週のように続けるわけですから、家族側の負担も決して小さくありません。
佐久間選手がプロになったからといって、父親の役目が終わったわけではなかったのです。
勝てない娘に父親がかけ続けた「焦るな」
佐久間朱莉選手は2021年のプロテストをトップで合格しています。
当然、周囲からの期待も大きかったでしょう。
ところが、レギュラーツアーではなかなか優勝できませんでした。
2022年。
2023年。
2024年。
何度も優勝争いには加わりながら、あと一歩届かない。
2024年にはメルセデス・ランキング8位まで上がりましたが、それでも優勝はありませんでした。
そんな娘に対して、父・浩太郎さんが伝え続けていた言葉があります。
「焦るな」
でした。
2025年にようやく初優勝した際、浩太郎さんは「勝てなくても『焦るな』と話してきた」と明かしています。
これは佐久間選手のファンなら、覚えておきたいエピソードではないでしょうか。
結果が出ないと、本人が一番焦ります。
しかも同期や同世代の選手が次々と優勝していく。
そんな時期にも、一番近くにいた父親は「もっと頑張れ」ではなく、
「焦るな」
と見守っていたのです。
プロテスト前には父親が早朝から送迎
家族のサポートがよく分かるエピソードがもう一つあります。
高校卒業後からプロテストまでの数カ月、佐久間選手は埼玉県の東松山カントリークラブで研修生として過ごしました。
荷物運びなどの仕事をしながら、午後には9ホールを回って練習。
その生活を支えていたのが両親です。
父・浩太郎さんは、早朝から車で佐久間選手を送り届けていたとスポーツ報知が伝えています。
その後、佐久間選手はプロテストに初挑戦。
結果は通算18アンダーのトップ合格でした。
結果だけを見ると「才能のある選手が順調にプロになった」ように見えます。
しかし、その裏側には毎朝送り届けていた父親の姿がありました。
佐久間朱莉の母親は美樹子さん
佐久間朱莉選手の母親は、佐久間美樹子(みきこ)さんです。
2025年の初優勝時には51歳と報じられています。
母・美樹子さんも、佐久間選手を長年支えてきました。
特に印象的なのが食事面のサポートです。
母親の手作り弁当が佐久間朱莉を支えていた
佐久間選手が東松山カントリークラブで研修生をしていたころ。
父親が早朝に送迎する一方で、母・美樹子さんは娘のためにお弁当を作っていました。
好物のロコモコ丼などを作っていたそうです。
さらにプロになってからも、母親の食事によるサポートは続いています。
2025年の初優勝となったKKT杯バンテリンレディスでも、ラウンド中に食べていたのは、
母親手作りのワカメのおにぎりと煮卵。
だったと報じられています。
年間女王になる選手の試合中のエネルギー源が「お母さんのおにぎり」と知ると、少し親近感が湧きますね。
母親のカレーを食べて地元大会へ
佐久間選手は埼玉県川越市出身です。
2024年に埼玉県で開催された大会では、自宅から会場へ通っていました。
その際、佐久間選手は自宅から通えるメリットについて、母親の温かい料理を食べられ、自分のベッドで眠れるのでリラックスできると話しています。
大会前夜には、母・美樹子さん手作りのカレー。
佐久間選手がどうしても食べたかったため、朝から母親に準備をお願いしたそうです。
おにぎり。
煮卵。
ロコモコ丼。
カレー。
こうしたエピソードを見ていると、母・美樹子さんが特別なことをするというより、家庭の食事を通じて娘がいつも通りプレーできる環境を作っていることが伝わってきます。
母親が語った「同世代がどんどん勝つ中で…」
佐久間選手の苦しい時期を近くで見ていたのも母親でした。
2025年4月。
佐久間選手がようやくツアー初優勝を果たした際、美樹子さんは、プロテストをトップ合格したのに同世代が次々と勝つ中で、娘には勝てずに悩んでいた時期があったと振り返っています。
これはファン目線で見ると、佐久間選手の初優勝の意味がさらに大きく感じられる話です。
プロテストトップ合格。
それだけを聞けばエリート街道です。
しかし実際には、その後なかなか優勝できなかった。
本人だけではなく、その姿を見守っていた家族にとっても長い時間だったのでしょう。
母親から見た佐久間朱莉は「真面目な子」
母・美樹子さんは娘について、
「真面目な子」
と表現しています。
さらに、体調が悪いときでも頑張り過ぎてしまうところがあるとも話しています。
テレビ中継では淡々とプレーしているように見える佐久間選手ですが、こうした家族の言葉を知ると、その内側にある性格も少し見えてきます。
プロテストトップ合格から年間女王になるまで積み重ねられたのも、この真面目さがあったからなのかもしれません。
母親がいないときは父親がおにぎりを作ることも
佐久間家には、少し微笑ましいエピソードもあります。
普段は母・美樹子さんが食事をサポートしていますが、母親が遠征先にいない場合には、
父・浩太郎さんがおにぎりを握ることもある
そうです。
父親は送迎と試合同行。
母親は食事。
と完全に役割分担しているわけではなく、その時々で家族が佐久間選手を支えているのでしょう。
2025年初優勝で両親と抱き合った佐久間朱莉
そして家族の支えが最も印象的な形で表れたのが、2025年4月20日でした。
「KKT杯バンテリンレディスオープン」。
佐久間朱莉選手はプロ5年目、ツアー123試合目で念願の初優勝を果たしました。
18番ホール。
優勝を決めた佐久間選手を待っていたのが両親でした。
佐久間選手は18番グリーンで父・浩太郎さん、母・美樹子さんと抱き合いました。
そして口にしたのが、
「やっと恩返しができた」
という言葉でした。
プロテストトップ合格から約4年。
何度も優勝争いをしながら届かなかった1勝。
その間も全国の試合へ同行していた父。
食事を作り続けた母。
その背景を知ると、この初優勝は佐久間選手一人だけの1勝ではなかったことが分かります。
>>>【2026最新】佐久間朱莉はどんな選手?年齢・身長・出身・高校・経歴・優勝歴を紹介
初優勝を見た父親が感謝したのはジャンボ尾崎
初優勝後、父・浩太郎さんが語った言葉にも注目です。
浩太郎さんは娘の優勝について喜びながら、師匠であるジャンボ尾崎さんへの感謝も口にしました。
特にジャンボ尾崎さんが佐久間選手を叱ってくれたことが大きかったと振り返っています。
親なら自分の子どもを褒めたくなるところですが、浩太郎さんは師匠への感謝も忘れていません。
佐久間選手がジュニアからプロへ成長していく中で、家族だけで抱え込むのではなく、ジャンボ尾崎さんに指導を託していたことも分かります。
佐久間朱莉には兄・怜央さんがいる
佐久間朱莉選手には、兄の佐久間怜央(れお)さんがいます。
2025年4月の報道では24歳と紹介されているため、佐久間朱莉選手より年上です。
そして兄・怜央さんもゴルフ経験者です。
過去にはジュニア競技への出場歴があり、大学でもゴルフ部に所属していました。
つまり佐久間家は、朱莉選手だけがゴルフと関わっている家庭ではありません。
兄妹でゴルフに取り組んできた家族です。
ただし、現在の怜央さんの職業などについて信頼できる公表情報は確認できないため、ここは推測せず「兄もゴルフ経験者」というところまでにしておくのが正確でしょう。
実は兄より先にゴルフを始めたのは朱莉?
ここには少し面白いエピソードがあります。
兄・怜央さんは朱莉選手より年上ですが、報道などでは朱莉選手の影響を受けてゴルフを始めたと紹介されています。
つまり、
兄がゴルフをしていたから妹が始めた、
ではなく、
妹の朱莉選手が先にゴルフに触れ、それを見て兄もゴルフを始めた
という少し珍しい兄妹だったようです。
3歳から父親の影響でクラブを握っていた佐久間選手。
このころから、すでに家族をゴルフへ引き込んでいたのかもしれません。
「朱莉」という名前を付けたのも両親
佐久間朱莉選手の「朱莉」という名前についてもエピソードがあります。
スポーツ報知によると、両親は名前の響きで「朱莉」と決めたそうです。
そして2025年の初優勝。
その「朱莉」という名前がリーダーボードの一番上に表示されました。
プロテストトップ合格から4年。
両親にとっても忘れられない瞬間だったでしょう。
年間女王になっても変わらない「佐久間家の支え」
初優勝を果たした佐久間朱莉選手は、そのまま2025年に年間4勝。
ついには年間女王まで上り詰めました。
そして2026年も勝利を重ねています。
ここまで来ると、初優勝前とは立場がまったく違います。
しかし、佐久間選手の原点をたどっていくと、
父親の影響でゴルフを始め、
父親に送迎してもらい、
母親のお弁当を食べ、
家族に見守られながら試合を戦ってきた、
という姿があります。
年間女王という華やかな肩書きの裏側にあるのは、意外なほど普通の家族の支えなのかもしれません。
佐久間朱莉の家族を知ると初優勝の涙の意味が分かる
佐久間朱莉選手について調べていて、個人的に一番印象に残ったのは、父親の職業や兄の経歴といったプロフィールではありません。
やはり、
初優勝した18番グリーンで両親と抱き合ったこと
です。
プロテストをトップで合格すれば、「すぐに勝つだろう」と周囲は期待します。
ところが勝てない。
同世代の選手たちが先に優勝していく。
それでも父親は「焦るな」と言い続け、全国の試合へ同行する。
母親はいつもと同じように食事を作る。
そして4年後。
ようやくつかんだ初優勝。
そこで出てきた言葉が、
「やっと恩返しができた」
だったわけです。
2025年の年間女王という結果だけを見ると、佐久間朱莉選手は順風満帆なスター選手に見えるかもしれません。
しかし家族とのエピソードを知ると、少し違います。
なかなか勝てなかった時間を本人と一緒に過ごした家族がいたからこそ、初優勝の涙には大きな意味があったのでしょう。
まとめ|佐久間朱莉を支えてきた父・母・兄
今回は、佐久間朱莉選手の父親・母親・兄など家族構成について紹介しました。
佐久間家は、
父・浩太郎さん、母・美樹子さん、兄・怜央さん、朱莉選手の4人家族です。
父・浩太郎さんの影響で幼いころからゴルフに触れ、プロを目指していた時代には早朝から父親が送迎。
母・美樹子さんは手作りのお弁当など食事面から娘を支えました。
プロになってからも父親は試合に同行。
母親もおにぎりなどを作って娘のツアー生活を支えてきました。
そしてプロテストトップ合格から約4年。
2025年に念願の初優勝を果たした佐久間朱莉選手は、18番グリーンで両親と抱き合いました。
その年、佐久間選手は年間4勝を挙げて年間女王へ。
2026年も勝利を重ねています。
今では日本女子ゴルフ界を代表する存在となった佐久間朱莉選手。
これから試合を見るとき、テレビに映る佐久間選手だけでなく、その後ろで長年支えてきた家族の存在にも注目してみると、さらに応援したくなるのではないでしょうか。